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第14日 足柄〜富士岡(その2)

                 (歩いた距離 14.6km    03.03.22)

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 「御殿跡入口」の標示があるので細い道を入っていくと吾妻神社が
あり、境内に「地名御殿場発祥の地」の石碑がある。
 「天和6年(1615)徳川家康公が駿府と江戸を往来するための
宿泊施設として陣屋を造営させた」。「この御殿の建設とあわせて
街づくりが進められ御殿の周辺に人々が集まり御殿場町と称した」。
「御殿は造営されてから71年後に取り払われたが、『御殿場』と
称せられる」ところになった。

 当時の御殿の土塁が一部残っている。

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 浅間神社がある。長い参道で「新しょうわ」の狛犬がいる。

 この神社は、御殿場中学校の校庭とつながっている。
 その境に前方後円墳の古墳があり、二枚橋丘陵という。
石を組んで保存に努め大きな木が立っている。

 二枚橋がある。古い小さなコンクリート造りである。

 山中湖・河口湖へ行く国道138を越える。ここから見える富士山は大きく迫ってくるが、
今日は天気が悪く、見えなくて残念である。

yagura14-23.JPG  市役所があり、そこから斜めに真っ直ぐ道がある。
その道を行くと馬車道公園がある。
 そこに説明はなかったが、「富士登山熱は年ごとに盛んになり、
明治に東海道線が開通すると益々御殿場口の登山が
盛んになり、レールの上を走る鉄道馬車が須走まで客を
満載して走っていた」と書かれたHPを見つけた。
 この道がその鉄道馬車道であったのか。

 御殿場の駅に着く。

 JR御殿場線は国府津と沼津間60kmを結ぶローカル線だが、昭和9年(1934)に
丹那トンネルが開通するまでは東海道本線であった。現在は単線であるが、
車窓からレンガ造りの橋やトンネルが残っているのが見え複線であったことが分かる。

 再び御殿場裾野線を行く。

  新橋浅間神社に行く。
 富士信仰に関係が深く、富士山東表口便道開鑿紀念碑や富士講の石碑などが多い。
 杉林が残った清潔な神社で、石の太鼓橋を渡って社殿に行く。

 「江戸」狛犬がいる。左右に子狛がいて活動的である。
 社殿の前には「新しょうわ」狛犬がいる。

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 永原に永原大神宮がある。
 明治15年(1882)伊勢神宮御分霊を拝戴した神社で、氏子はないと説明されている。

 南御殿場駅の手前に諏訪神社がある。
 猫顔の「江戸くずし」狛犬がいる。顔が小さく、四肢が太く逞しい。

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 この神社の参道は線路をまたいでおり、カマド神社踏切で渡る。
 昔「源頼朝が富士の巻き狩りのおり、飯炊きの竈を築いた」ので地名となったという。

 踏切のところに彫りがはっきりした着物姿の双体道祖神がいる。
「伝え来し 竈の里の 夫婦岩 睦う姿の 美しきかな」の歌碑が添えられてある。

yagura14-21.JPG  道は線路の東に沿っていて緩やかなカーブが
旧道と思わせる。
 道の両側に家が建ち、豊かな水が流れる用水がある。

yagura14-22.JPG  道の所々に防火用と書かれた厚い木の板が置かれている。
 火事の際、この板で用水を堰き止めて、そこから水を汲みだす
のだろうか。

yagura14-20.JPG  道角に双体道祖神がある。写真を撮っていると、
「近くの子之神社にもあるよ」と教えられた。
左に曲がって細い道を行くと、神社の入口に石仏が集められている。
風化が激しい双体道祖神や「言わざる」がいない「見ざる」と「聞かざる」
だけの庚申塔などがある。

yagura14-24.JPG  道端に庚申塔がある。彫りがはっきりしているが、邪鬼が大きく、
ゴリラの上に青面金剛が載っているような図である。

 JR富士岡で乗車し、帰宅。

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